全日本教職員組合
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全教のとりくみ
【集会】2008/11/29
父母・地域との共同ひろげようと11・29地域教育運動交流集会を開催!【講演】②/3
1.いのちのつながり――平和あっての子育て・教育 
 
(1)熊本発「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」が問いかけるもの 
(2)秋葉原事件――何が人間をこわすのか、育てるのか 
(3)「地球人」チャーリーとイラク帰還米兵アッシュから学んだこと 
(4)おじいちゃんになれなかった若者『山下清馬』(特攻死21歳)

2.子どもの中の力と希望 
 
 子どもについて焦点をあてます。今子どもたちの生きづらい社会や生活が問題になっています。学校もそうです。

 
(1)ストレス社会と子どもたち 
 
 社会教育のある民間の研究集会の分科会で、北海道大学の先生が、「いま子どもの中にも鬱が増えてきている」とおっしゃっていました。たいへん高い率です。中学生1年生で10・7%の子が鬱としています。これは簡単なアンケートの結果ではありません。実際に医師が面接、診断しての結果です。ですから精度は高い。
 実は思っている以上に子どもたちが鬱の状態にあった。彼は、「子どもの鬱は見落とされてきた。なぜかと言うと、『まさか子どもが鬱なんて』という子ども観、『子ども時代は幸せである』という先入観が、研究や調査を妨げてきたのではないか」と言っています。また子どもの鬱病は、一見すると鬱に見えないという特性があるそうです。
 しかし、実際に子どもも大人も同じ時代、同じ現実を生きているわけですから、子どもだけにそうしたしわ寄せがいかないわけがない。まさに国連の権利委員会が第1回の日本政府に対する勧告で突きつけたように、この過度のというか、極度の競争的な教育制度が子どもを傷つけ、苦しめ、追い詰め、さまざまな障害を生み出しているという、このことが医学の立場から明らかにされている事例だと思います。
 
 社会病理が子どもにかかわっているということです。調査をされた先生の言葉によりますと、「鬱は大人も含めて、ごくありふれた病気である。生涯で病気になる率――有病率は15~20%と高い」、みなさんの同僚やあるいはみなさん自身、ご家族にも、休んでいる方がいらっしゃるかもしれません。誰でもなる可能性はあり、例えて言えば、脳の風邪のようなもの、いわゆる『精神病』ではない、『生活習慣病』に近い。精神の病気というよりも、身体の病気との捉え直しもすすんできています。
 もちろん治ることも明らかになっています。きちんとゆっくりと休み、じっくりと時間をかけ、良いサポートがあれば治るということは間違いないと言われています。子どもたちの中に、こうした生きづらさを象徴する鬱が広がっていることも、単に落ち込んでいるだけではない、こういう子どもたちの状況にもっと身を寄せ、心を寄せる必要があるのではないかと思います。

 
(2)子どもの人権をめぐる身近な問題から 
 
 それから、子どもの人権をめぐる身近な問題からですけれど――赤ちゃんにつける名前、子どもの名前です。みなさんも学校現場などで、読めない名前にずいぶん直面しているのではないかと推測しています。大学生の名簿でも最近そういう傾向が生まれてきています。いかがでしょうか?
 『朝日新聞』(2007/10/12付)に「読めない名前ぞくぞく」という記事が載りました。
 例えばこうあります。「聖」と書いて「マリア」と読ませる。「一二三」は「ひふみ」ではなく、「ワン・ツー・スリー」と音楽のリズムで「ワルツ」と読ませるそうです。それから「月女神」と書いて「ディアナ」…。読めませんね。これがぞくぞくと増えている。現に学生のこの話をしたら、出て来る、出て来る、兄弟や従兄弟の子どものこと…。
 
 漢字に制限はあるけれども、どう読むかは自由なんです。「雅彦」を「アダム」と読んでも受理されるわけです。
 ちょっとこれは考えさせられる。子どもの人権、権利問題です。振り仮名がなかったら読めません。病院とか、役所とかどうなるでしょうか。その度に〝間違えられる〟どころじゃありません。〝読めない〟のですから。
 私は〝子どもの権利上も困ったものだ〟〝子どもは一生不自由するんじゃないか〟と思っています。もちろん本人が〝気に入る〟ということもあるかもしれませんが。
 
 それからみなさんご存知ですか?
 僕は2年前、熊本空港で見たんです。空港のロビーでよちよち歩きの2歳くらいの女の子に紐が付いている。犬のリードのようなものです。子どもにリードがついているのを見たことありますか?
 子どもが大きくなった時に、写真を見たらどう思うでしょう。これも気になるところです。子どもが危ないからと抵抗のない人もいるでしょう。年配の人でも「若い時にあれがあったらな」という人がいるんです。しかし、〝信じられない〟という人が圧倒的です。やはり〝人間の子だから手をつなぐべきだ〟ということです。
 このように子どもの人権、権利というものが、いろんなところに日常の中に見え隠れしている。それをみなさんにお気づきいただきたいと思います。

 
(3)「運命」を超える子どもの可能性 
 
 さて、子どもの生きる権利、子どもの個性を花開かせる権利ということで、私が今年読んだ本を通して知った事実の中から、みなさんに紹介したいことがあります。
 鹿児島に岩元綾さんという娘さんがいます。今30代になっていますけれど、ダウン症の障害を持って生まれた方です。
 私は今から24、25年前、民教研の運動でもがんばってこられた岩元先生と鹿児島子ども研究センターで4年間ご一緒し、お世話になりました。その岩元先生の娘さんです。
 綾さんは、通常の小・中学校、高校を卒業した後、私立の大学の英文科を出て、いまは英語やフランス語の翻訳を手がけられています。
 ダウン症の人が大学まで卒業してということは、極めてまれなんだそうです。ですから、日本国内どころか、世界からも注目され、ニュージーランドやシンガポール、カナダなどの学会で、英語のスピーチをすることもあるんだそうです。
 
 10年ほど前に綾さんのお父さんとお母さんが、『走り来たれよ吾娘よ!――夢紡ぐダウン症は女子大生』(かもがわ出版)という本を出しました。今年は彼女自身が『21番目のやさしさに――ダウン症のわたしから』(かもがわ出版)を書かれました。
 「21番目」とは、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、ダウン症は人間の23対ある染色体のうち、21番目が対ではなく3本ある――これに由来して、心臓に障害をもたらしたり、いろんなハンディを障害としてつけ加えていく、そのことから来ているわけです。
 お母さんの「あなたの21番目の染色体にはやさしさがいっぱいつまっている。あなたの個性と能力をいっぱい発揮してほしい」との願い。彼女はこのことを納得して、この本のタイトルにしているわけなんですね。
 綾さんは大学生になって、ひょんなことから自分がダウン症の障害を持つということを初めて知ったそうです。このことを知ること自体が、一般には困難だと言われているんですが、たいへんなショックを受けた。お母さん、お父さんの前で「泣きじゃくった」ということがこの本に書かれています。でも、お父さんは「綾はこれまで、いろんなことに挑戦し、がんばってきたんだ。これからもひるむことはない。前を向いてしっかりと生きていきなさい」とおっしゃった。
 
 「〝障害を乗り越え〟ということよりも、〝受け入れる〟〝受け止める〟ということの方が大事だと思う」というようなことがここには書かれています。出生前診断の問題についても、当事者として、初めて当時の厚生省に意見書を提出する。そういう障害児の権利の前面にも立ちながら、そして自分のやりたいフランス語の詩の翻訳も、英語のスピーチにもとりくんでいらっしゃる。夢がたくさんある。
 本当に、子どもの可能性というものは決めつけられない。
 そして本を読むと分かりますけれど、ご両親の深い愛情とサポートの中で、早い遅いはあるけれども必ず確実に成長していくということなんですね。とてもお薦めの本です。子ども観を大きくさらに変えてくれた本です。
 ご両親の愛情、そして地域の支え、さらには学校の先生方が出てきます。先生方がいかに彼女に寄り添って、勉強の面や、あるいはマラソン大会で伴走してきたかということがよく分かります。地域の中から、足元から子どもを支える一つの輝くようなとりくみで、大きな勇気、元気を与えられます。

 
(4)フィンランドの子どもたちの「学力」とモラル――問われる社会のあり方、大人の生き方 
 
 それから子どもたちの生活、人生を語る時に、フィンランドの話を欠かすことはできません。みなさんもこの間ずいぶんと関心をお持ちだろうと思います。
 都留文化大学の佐藤隆さんという同じ教育学の研究者も10年くらい前、フィンランドに関心が集まる前から足を運んで調査し、ていねいに聞き取りをして、問題点、課題をつかんできました。その佐藤さんを熊本に昨年お呼びして、話を聞いたんです。
 2年前、熊本子育て教育運動交流会が主催して、今まであんまり、つながりがなかった方にも声をかけて、教育基本法改悪を許さないための学習会を堀尾さんをお呼びして開催し、200人越える参加者を得たわけです。その第2弾として、フィンランドを取り上げよう――フィンランドから何を学ぶのか、フィンランドを鏡にして日本の現実と未来を押し出して考えていこう、政府や文科省がやっているような、〝学力世界一だから〟という学びではなく、深いフィンランドの土壌と言いますか、文化や子育て、人の生き方までみながら、〝何が違うのか〟〝違ってしまったのか〟を学び取ろうという学習会でした。若い人、現職の先生も多く参加して成功しました。
 
 今年、誰を呼ぼうか、という時に「もう1回佐藤さんを呼ぼう」という話になったんです。
 そして佐藤隆さんには、残念ながらこのテーマでの著書がなかったものですから――明快な主張を持っていらっしゃる、文書に対する批判意識もあるのに――私たち、子育て交流ネットワークが本を出しましょうと声をかけました。お母さんたちがテープ起こししたものに手を加えて整理してもらい、かもがわブックレットから『フィンランドに学ぶべきは「学力」なのか』(かもがわ出版)を出してもらったわけです。これがずいぶん売れて出版社からも感謝されています。7月に出してから、6000部くらいになると思います。
 これも必読書です。なかなか良いです。目からうろこの本です。いま、息詰まるような職員室や教室の空気を跳ね飛ばすような、暗雲を吹き飛ばすような本です。
 
 フィンランドの高校生にインタビューしたら、「日本は競争、競争みたいだけれども、勉強で競争することに意味はあるのですか?」と聞かれる。同じことを先生にも言われる。「何か競争ばかりしていたら、人生の大事なものを見落としませんか?」と言われたりですね。
 高校生たちはさらに、「友だちと言える大人が地域の中に何人もいます」と言います。これ大事ですよね。上から見下ろす目線の大人ではなくて、〝先生〟や〝親〟ではなくて、〝友だち〟と言える大人が何人います?
 佐藤さんがある時、「君たちは将来、これから先幸せだろうか?」と聞いた。だって日本の子どもたちは〝先が見えない〟とか、〝希望がない〟とか言っているし、現にそういう動きですよね。それが念頭にあって聞いたんです。
 「たぶん幸せだと思います。だって今が幸せだから」と、そんなことを言うんですね。やっぱり今が安心して子どもでいられる、勉強ができる、できないの競争だとか、仕事に着ける、着けないとかでなく、労働者が、親世代が子育てや仕事に専念できる。それは先に老後の安心があるからです。貯金の心配がいらないわけです。そして、子育てで言えば、小学校から大学、大学院まで無料ですから、まして、給食費未納なんてあり得ないわけです。そして20人学級が普通です。
 「日本はいまだに40人学級だ」と言うと、ケラケラと笑って、「それはチャレンジですね」と言ったそうです。〝よくやる〟ということです。そういうように日本の鏡で写し出すと、いろんなことが見えてくる。深い学び方を提起しています。
 
 それからフィンランドに留学した高橋絵里香さんの『青い光が見えたから 16歳のフィンランド留学記』(講談社)という昨年出た本があります。すごく良い。一人の少女が不安を抱えて、ムーミンにあこがれて行った少女が、どんなに変わっていったか。
日本では、自分自身では受けなくても体罰を見ているから、傷ついているわけですよね。そして、何かの拍子に「日本ではどう?」と聞かれて、「居眠りをしていたり、宿題を忘れたりしたら、先生がたたいたり、けったりすることがある」と控え目に言ったら、友だちや先生が大笑いしたんですって。「嘘でしょう」と言ったそうです。「信じられない。先生がたたくなんて」と。絵里香さんも実はそう思っていた。こうして癒されていくんです。
 それから別のシーンでは、絵里香さんが学校の階段で転びそうになった。日本ではどうですか?「ドジ」と言って、笑われるんですよね。彼女もそう思っていますから、自分から「ドジなんだ」とおどけて言おうとしたら、友だちは血相を変えて「絵里香!大丈夫?怪我はなかった?」と聞いてきたそうです。それが本当でしょう。でも日本みたいに〝お笑い〟であふれている文化では、笑うべきでないところまで笑ってしまう。そういう悪乗りが、学校にも影響を及ぼしているし、その延長上でいじめとか起こっているんではないんでしょうか。
 文化とか、生活――〝何をこそ笑うべきか、笑うべきでないか〟――国際化の中で価値観やモラルも考えていく必要がある。
 
 モラルと言えばご存知でしょうか。
 リーナスくんというヘルシンキ大学の当時、大学院生でした。コンピューターのOSの『リナックス』を開発した人です。僕はこういうもの詳しくわかりませんが、これが今、全世界で生活の中に入っている、役に立つソフトなんだそうです。これにサポーターが全世界から参加して、改良に、改良を重ねている。
 大事なところは、リーナスくんは、この開発でマイクロソフトみたいに特許をとらなかったということです。〝どうぞ!みんな使って!〟と。それはなぜか?「だって研究が楽しかったから、2つ目には、僕は社会のおかげで勉強ができて、その延長でこの研究ができた、だから社会に返すのは当たり前でしょう」と言ったそうです。これですね。本当の公共的な道徳心、公共的なモラルというのは。
 押しつけて〝日本を愛せるか!〟っていうこと。そんなものじゃないですよね。愛されて、社会から大事にされて自然に、社会に自分の力を尽くしたいという――公共的なモラルというものが育つんだということも教えてくれています。
 僕はショックでした。僕だったら絶対に特許を取っている。そういうガチガチの資本主義の中に生きているわけです。すごく学ぶことが多いと思っています。
 
 最近、熊本に留学しているフィンランドの高校生に会いました――すぐに会いに行きます。これも間もなく、交流会を開こうと計画中です。子どもの声を聞く、なかなか子どもの声が届かない、聞かない社会――国がそういう姿勢で一貫しているからですけれども――だからNGO、市民ががんばんなくてはならないわけです。まだまだ休むことはできない。〝子どものくせにとか〟〝子どもだから〟という子ども差別が露骨に言われなくても、さまざまな形で、全国一斉学力テストだってそうですよね。子どもを悩ませ、苦しめる――子どもの声を聞くでもなく、親を通しても聞かないわけですから。こんな乱暴な人権侵害、権利侵害を許してはいけないと思うんです。これも現実です。
 国連にもこうした現実もつきつけて、国際的な舞台の中で日本のおかしいところを質していく、これもまた広げることができないかと思っています。

 
(5)子どもの声を聴く――子どもの権利条約の新しい子ども観 
 
 「誰のおかげで飯が食えるんだ」とたまにお父さんが、子どもに言ったりするようです。私の教えている学生が、こんなことがあったと中学生の時のエピソードを話してくれました。
 親子喧嘩で――父親:「誰に飯を食わせてもらっていると思っているんだ!」、息子:「それは子どもが何も反論できない卑怯な言葉だ。何回も言っているだろ!」――〝それを言っちゃおしまい〟ってことですね。しかし、子どもは「頼んで生んでもらったつもりはない」とも言います。これも〝それを言っちゃおしまい〟――息子:「それ以外の言葉で言い返せんのか!親父!」と言ったら、父親:「言い返せんのじゃ!」と言ったそうです。(笑)正直なお父さんで良いんじゃないかと思います。
 地域の中でも、こんなことがあったと女子学生が言っていました。「子どもの頃、地域の祭りでくじを引いたら、旅行券が当たった。大喜びしていたら、『子どもだから』と花火のセットに変えられた」と。一生忘れられない子ども差別ですよね。そういうこと割と覚えていますから。骨身に滲みています。そういうことはまだまだあります。
 
 それから先生方が多くいらっしゃいますから、お話しします。絵を書いて、こんなことを言われたと思い出を語る子が何人もいます。
 動物園に行ってライオンの絵を描いた。すると先生が「もっと大きくかけ!子どもらしく!」と言う。「え~!」と思いながらも、先生が言うのでやぶれかぶれになって紙いっぱいにライオンを描いた。先生は満足だったが子どもにとっては「もう僕の絵じゃない」――これは子どもの権利条約の応用問題ですよね。子どもの権利を指導が越えた瞬間です。いかがですか?
 子どものためを思って指導する添削ってあり得ますよ。でも子どもがもはや、自分のものじゃないと言う作品を描かせては、もう指導じゃないですよね。違いますか。結構やりがちです。善意な、一生懸命な教師は、こういうことがあるんです。
 
 さて、知り合いのお嬢さんが、水俣病のことをとりあげた詩があります。
 「50年以上も前の事件/水俣病の原因を公表するなと言った人/このせいで苦しむ人がまた増えた/半世紀経った今でも体の痛みは癒されても、心の痛みは癒されない/この事件だけじゃない/苦しむ人も、悲しむ人も、世界中にたくさんいる/心のよごれた大人/そんな大人は許せない/そんな大人になりたくない」
 このように6年生の子が書いたら、先生が後半部分を「添削指導」して、こう変わったんです。
 「苦しむ人、悲しむ人、いろんな人が世界にたくさんいる/そんな人を救いたい/何か手助けしたい/住み良いくらしのために/平和なくらしのために/みんなが仲良くくらせるために/笑顔で毎日を過ごせるために」
 こんなきれい事を子どもは書いていないですよ。〝大人は汚い〟と言っているわけですから、受け止めるのが指導なんじゃないですか。
 だから、「あなたの言いたいことは何?」「そのためにはこういう表現があるよ」って言えば、良いんだけど。こういうようにきれいごとにまとめてしまう。これが指導だと思ったら大間違い。大きな落とし穴に、権利条約を知らないとはまってしまうと思います。いかがでしょうか。
 
 
3.足元から(やさしさ)をはぐくむ 
 
(1)家族の問い直しと新しい<縁> 
(2)<地域>が支える 
(3)〝吉野流子育て〟の極意 
(4)気にかけ合う関係を広げる 
(5)不安と孤独の子育て(教育)から、安心と共同の子育て(教育)へ

子どもの権利・教育・文化 子ども全国センター 民主教育研究所 九条の会 教育子育て 九条の会 憲法改悪反対共同センター
 
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